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ウクライナ
首都:キエフ



ウクライナ
外務省サイト
1991年のソビエト連邦崩壊でベールに包まれていた内情が解けてきた。鉄道撮影も徐々に緩和されてきたが蒸気機関車の活躍は時すでに遅く、ロシア・ウクライナ共和国など本線走行から撤退。現在は構内の入れ替えやボイラーなど地味な役目がほとんどである。
しかし欧米諸国愛好家の力で現存する蒸機を何とか観光資源にまた外貨収入として国も認めた蒸気機関車撮影専門会社を設立。ウクライナ国鉄と協力して世界中のマニアを勧誘している。私も邦人愛好家同士で募る冬の撮影ツアーに参加。帝政ロシア時代を彷彿させる大型蒸機撮影を楽しんだ。
ウクライナ国鉄=1524ミリ
P36=(4-8-4 Kolomna 1954〜1956年)
ソ連最大の旅客用機関車。シベリア鉄道で活躍した花形機関車。
Su=(2-6-2 Kolomna他 1925〜51年)
ソ連時代の旅客標準機関車。モスクワーレニングラード間の「赤い矢号」を引いていた。
FD =(2-10-2 Kolomna他 1932〜1941年)
貨物用機関車。中国へも売却(友好型)した機関車でとして有名。
SO=(2-10-0 Kharkov 1934〜1951年)
旧ソ連時代の貨物用蒸機でE型をベースに製造
L=(2-10-0 Kolomna他 1945〜1954年)
幹線貨物用標準型機関車。4200両製造。
Er=(0-10-0 Murom他 1935〜1957年)
Eシリーズ(E・Eu・Em・Erと)として帝政ロシア時代の1915年から貨物機として13000両を製造。Erは最終モデル。
Em=(0-10-0 Sormovo 1931〜1935年)
Eシリーズ。1形式としては世界一両数を誇る機関車。
b=(0-4-0T Kolomna ベイヤービーコック(英)他 1912年)
貨物用機関車として構内入れ替え運用と短支線で活躍。


FD+SO
早朝のファストフ駅。夜行列車で買い物帰りの老婆。凍てつく出口を抜け家路に着く。

P36
Dubarovka駅に到着した元シベリアの女王ことP36。低いホームでは対向列車を待っていた客らは思わぬ臨時列車が来たことで移動しながら興味深く見つめていた。

Su
カラパチナ山中を快走するSu。グリーンでスマートな機関車は駿馬のようで華麗である。

b   b型(0-4-0 ベイヤービーコック(英)他 1912年)
愛らしいタンク機はコロステン機関区のマスコット的存在。ちらりとお披露目をしてさっさと庫の中に。「え!もう、終わりかい?」まるでどこかのぼったくり風俗店みたいだ。

FD+SO
FD (2-10-2 Kolomna他 1932〜1941年)+SO (2-10-0 Kharkov 1934〜1951年)
Khodorkov郊外の高い鉄橋を渡る。川べりに下りるのは楽だったが、線路に上がるのはには息が切れた。連日の飲酒と運動不足がこたえる。

Su+後L
カラパチナ山中の線路は幾つものトンネルがある。冬だから窓は閉めっぱなしでいいが、夏は窓の開閉とススだらけで大変な車窓の旅。L型の補機を付け峠に挑む。

Er+L
冬のウクライナもpm4:00にはご覧の通り暗くなってしまう。露出も当に厳しいが、雪明かりでなんとか助かる。ルーマニア国境の町ラホフに向けラストスパート。

P36
美しいスマートな車体だが中身はボロボロ状態である。老体にムチ打ってやっとこそ走れる女王様。コロステンーシェペトフカ間ではオートストーカーが故障、手動で石炭を汲めていた。

L+Er
カラパチナ山中のセレムチャ駅を出ると深い山と川沿いに走る。線路は次第に高度を上げてラホフへ。この路線の定番撮影地だが貨物列車の再現は迫力満点。

Su
この地方のほとんどの駅では相乗り馬車タクシーが待機している。ヤシーニャ駅でも到着する列車を待っていた。まさにロシア時代にタイムスリップした光景に私はただ感激。

いかがでしたかウクライナ共和国の蒸機たち。スペシャル運転でありますが旧ソ連時代の全盛期のような絵が撮れたと思います。満足した撮影の旅でした。真冬の暗い写真ばかりで恐縮です。「やはりここはう〜暗いな!さぶ〜」失礼しました。また機会があれば新緑又紅葉の頃に訪れたいと思います。


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都築雅人の出会いとロマンの煙情日記
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