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思い出の一枚(ラジオトーク出演)
2000もの鉄道写真
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■ラジオトーク出演
 私の第2弾の写真集 汽車の見える風景 が店頭に並んでいたところ、ある放送作家の目に止まった。彼は旅行通であまり人が訪れない秘境が好きという。汽車の見える風景 」は蒸気機関車とその沿線風景をまとめたものだ。彼は鉄道よりも人々のスナップに好感を持ち本の出版元経由で私に連絡をしてきた。
 写真集の紹介と撮影の苦労をラジオ番組でトークしないかとの依頼だった。売り上げを伸ばすのに絶好のチャンスだったので即座にOK、文化放送・吉田照美のやる気マンマン、「午後2時の興味津々」というコーナー出演当日までの2週間がとても待ち遠しかった。
 放送作家と打合わせを重ね、前日にはりっぱな台本もでき上がっていた。ざっと台本を読んでも30分以上かかる。約20分でこんなに喋れるのだろうかと不安がよぎった。偶然だったが文化放送で週刊宝石の取材で照美さんのインタビュー撮影があった。来週、私が出演することはもちろん黙っていた。

文化放送スタジオ内 左から担当ディレクター、吉田照美氏、私、小俣雅子さん
 当日、出版社側の編集者は入稿の都合で立ちあえないということで私1人で文化放送入り。緊張をほぐすためJR四谷駅近くの酒屋で缶酎ハイを2本一気に飲む。全く酔いもせず尿意が近く待ち時間には何度トイレへ行った。
 スタジオに入るなり吉田照美氏に「あれ〜先日取材で来られたカメラの方ですよね」とびっくりしていた。小俣雅子さんとの絶妙なトークでキューバ、インド、中国等の撮影苦労や面白体験話をする。
 私も最初は緊張でトークもぎこちなかったが後に酔いもまわって口元も軽く台本から外れたりもした。CMや話の変わり目には音響効果にドラフト音も入れ楽しいトークとなった。さすがにプロのパーソナリティである。無駄な喋りも含んで時間通りピタリと終わった。放送作家、担当ディレクターも無事、20分間の楽しいトークに喜んでくれた。
 終了後、緊張のあまり脱水症状に近い状態、喉がカラカラだった。帰りは立飲みの酒屋に寄ってビールを飲んだ。まだ陽も高く初夏の風を受け清々しかった。隣で飲んでいた工事現場労働者たちとなぜか盛り上がった。 帰宅した私は過度の緊張のため疲れ早く床に付いた。午後10時を過ぎた頃だろうか小、中、高校の同級生、親戚、SL愛好家らから電話が続いた。今日の放送を偶然聞いて連絡してきたのである。つい懐かしさも重なり最後に電話を切った頃はもう東の空が明るかった。


■(番外)映画出演
 もう20年以上前である。ある時代劇映画のロケ取材であった。オープンスタジオに入り映画シーンの抜き撮りをした。この日は主演者のカットは時間切れで翌週に延期してしまった。映画の撮影では良く在ること。私は翌週もう一度訪れた。

 当日もなんだか状況がおかしい。女優さんの都合と天候でまた延びてしまった。宣伝マンも恐縮しきり。当日は現場に居た俳優さんだけで収録が進んでいた。仕方なく帰ろうとした時、スタッフからエキストラが足りないので出てみない?と声をかけられた。どうせ帰ってもやることなし時代劇に出られるのは面白いと思い不安な気持ちで衣装ルームに連れていかれた。

昼休みロケ弁当を食べ午後の出番を待つ
 私はテレビドラマ収録で幾度かカメラマン役や通行人で出演したことがあった。時代劇でかつらや着物を着るのは初めてである。
 みるみるうち江戸時代にタイムスリップしたように変わっていく自分に驚きと恥ずかしさでいっぱいだった。今回の役はなんと「おかっぴき役人」である。暴れた群衆を制止させる一役人だ。せりふは「戻れ、帰れ!」と警棒を横に押し戻すシーンである。
 午前と午後、角度を変え2シーンで撮影を終えた。カメラ前の立ち位置を決められ、幾度かのメーク直し顔アップシーンでは緊張もピークに達した。リハーサルを繰り返し本番前は演技にも余裕がでてきた。ちょっとオーバーアクションも入ってもう私は俳優きどりである。助監督にはちょっとやりすぎとの言葉。
 映画に出演している私はこんな嬉しいことはない。たった2カット撮るのに終日かかったが映画での丁寧な撮影である。終了後はせっかく衣装やズラもつけているのも名残惜しい。このまま友人や親にも見てもらいたかった。衣装室で着替え現実に戻った私の足取りは重かった。

 この映画の封切りが始まり私も早速見に行った。残念ながら私の顔アップはカットされていた。また群衆の阻止する場面ではほんのわずか写っていて本人が言わなければ判らない程度だった。
松竹映画 「ええじゃないか」今村昌平監督



世界の蒸気機関車
都築雅人の出会いとロマンの煙情日記
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