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思い出の一枚(凍傷)

■凍傷
私は今でも話題にできる大失敗がある。1987年12月、5度目の冬の中国での出来事。激寒の東北地方、旧満州は連日マイナス20度以下の気温。毎回冬の中国では爪先の寒さをこらえるのが辛く、今回は登山をやる友人に寒さ対策の施しを受けた。足の先に唐辛子を置き靴下を履くというもの。
黒龍江省・南岔は。前2+後1補機で登って来る路線で有名な地でもある。この日はマイナス40度にも達し、肌が痺れるほどだった。終日迫力ある補機付きの蒸機が撮れ満喫した。足の先も唐辛子のおかげで冷たさを感じなかった。

南鳥線 岩石-柳樹にて。 この撮影後、爪先に違和感を覚える。
夕方ホテルの部屋に戻って驚いた。靴下が汗で凍っていたのである。私の足の指すべてが紫色に変色している。慌ててバスタブにお湯を張り足をつけてしまった。これがいけなかった。湯から出した私の爪先はみるみる膨れあがっていく。小さな町なので病院もなく診療所へ急ぐ。水泡で膨れた足の指から水を抜く。メスを入れると勢い良く水が天井まで飛び散った。医師はどうして足をお湯につけたと私を叱る。私の行った処置は冷凍のマグロをレンジで解凍しているのと同じ、神経や細胞を殺してしまうところだった。凍傷した場合の治療法は雪、水の順で徐々にほぐしてやる。私は改めて凍傷の恐ろしさ知るのだった。

一夜にして爪先が水泡で膨れていた。当然撮影どころではない。医者は深刻な顔で私に「最悪、切断もありえる」と言った。私は気が動転した。この地では帰国する航空券の予約も入らず、まして南岔から北京まで特急でも二日もかかる。大きな病院へ急がなければならない。吉林行きの特急に飛び乗った。吉林の病院は凍傷治療がいいと通訳が聞いていたのである。ここでも医師は私の爪先を見て渋い顔をしていた。治療は大きな瓶から臭いのきつい漢方薬をしめらせたガーゼを取り出し患部あてた。
入院中の筆者 習志野第一病院
帰国後10日ほど入院。身体は元気だが爪先の皮膚が紫に変色。痛がゆさも春先まで消えなかった。
翌日の朝再び訪れると、変色した足の指先の上には白いカビが噴いていた。私は切断という絶望感で頭の中は真っ白だった。表情のない女医は私の足を見入って通訳に言った。
「切断はしなくても大丈夫。白いカビが生えれば神経や細胞がまだ生きてる証拠。この薬を縫って日本へ帰りなさい」
私の気持ちはハイになりこの女医が聖母様のように眩しく見えた。成田に着きそのまま病院へ直行、入院した。新しい皮膚に生え変わりリハビリを繰り替えし完治したのは3月下旬だった。寒さをなめてしまったおかげで現地の人たちや家族、仕事先まで迷惑をかけてしまった。
4月にやっと仕事に復帰した。仕事はなんとアフリカ・ケニアで行われたサファリラリーの取材だった。(JRPS会報 No13より)


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