最近、海外のSL撮影の旅行社が幾度か、北朝でアンチャン運転をする企画ツアーが行われ、愛好家を喜ばせている。
私はあまり好きではなかったが、ある旅行社から北朝の機関車ツアー企画しないか、と持ちかけられた。それもロシア/中国/北朝鮮国境に近い特別経済区の羅津に入るというのだ。
羅津、先峰あたりはまだ蒸機が活発に残っている。北朝の現役ガマが撮れると言うことで私も心が動いた。数名の愛好家を募って中国・延吉に飛んだ。私たちはバスで図們から琿春へ行き、歩いて国境の橋を渡って北朝に入国したのである。
しかしそれは北朝鮮の大うそで、撮影どころか観光すらさせないひどいものだった。私たちが入国すると平壌の鉄道省から突然の待ったがかかった。事前に知らせてくれれば私たちも訪朝しなかったのに。目的が伝わっていないらしかった。これが拉致や万景峰号問題で同様、現在も気まぐれな言い分なんだろうか。
丸2日間、羅津のホテルとバスの中に缶詰めにされ一歩も外にも出してくれなかった。精神的に参ってしまった私たちは即刻北朝鮮を脱出した。今、思えばよく帰国できたと思うばかりである。益々私は北朝鮮が嫌いになったのは言うまでもない。
我々が脱出する日、哀れさを感じたのかガイドの独断で「内緒で撮影しちゃいましょう」と機関区へ寄ってくれた。機関区の職員に怒鳴られながらもわずか10分間だったが貴重なデカポットやミカイを撮影。
しかし全く動く気配がなかった。最初から撮影させるつもりもないことが分かる。私たちは怒り心頭だったがガイドの計らいが嬉しかった。今も彼は無事なのか心配である。
羅津機関区
豆満江の向こうは北朝鮮の南陽市。道路と鉄道の大きな橋が2本架かる。北の玄関口として双方の貿易も盛んである。ドラフト音と蒸機の煙がいつでも確認できた。
1991年当時、1日に3〜4本の列車が往復していた。1年交代で中国側の機関車(DL)と入れ替わる。正午、南陽を出たミカイが豆満江を渡って来た。
豆満江沿いに向かって石炭列車が出発。帰国してよく見るとデカポット(2-10-0)にびっくり。
次位の客車は旧鮮鉄のものである。ボロボロで扉もなかった。
午後、同じ場所に長編成の旅客列車が来た。煙室扉に装飾されたミカイが引く姿に優等列車を感じた。
中朝国境の豆満江沿いは狭いところで10メートルあまり。冬季は川面が凍るため簡単に渡ることができる。
1997年、同場所である。95年に電化完了したらしい。ELが猛スピードでかっとんで行った。本線での蒸機走行は見られなかったが南陽の駅では汽笛が聞こえた。