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日本(C55)
海外ホテル
■C55
私が初めて訪れた1973年北海道・宗谷本線にはまだ3台のC55(シゴゴ)が残っていた。室蘭や函館本線に比べると蒸機の本数は少なかったので足取りは重かった。それでも私は「名山と蒸機」などで稚内の利尻富士にはこだわった。とうとう利尻は一度も見れなかったけどスポーク動輪とスマートな車体には感動した。以後、宗谷本線は度々訪れた。またC55は私の衝撃的な青春時代を十二分に楽しませてくれた。
C55 Class 4-6-2 1935年 日立、汽車、三菱、川崎車輌社製 62両製造


北海道・宗谷本線 名寄駅 1973年12月 C5550
塩狩峠の大雪で15分の遅れ稚内行き50号機が雪まみれで到着。

宗谷本線・南稚内ー抜海 1973年3月 C5530
利尻富士は今日も曇空で何も見えない。仕方なく丘の上から旭川行きを待つ。

宗谷本線・和寒駅 1973年12月 C5530
旭川行き通学列車が和寒駅を勢いよく出発。当時、流行ったクロススクリーンを私も付けていた。いやぁ〜後悔しきり。

宗谷本線・塩狩峠 1974年1月 C5550
この日は大勢の愛好家らとお決まり写真。たまたま私の隣りに白いスキーウェアーを着た美人OLと並んで撮った。六花亭のホワイトチョコをもらい美味しさに感激。でも誰と来ていたのだろうか、今だ不思議である。まさか雪女?

宗谷本線・名寄駅交換 1973年12月 C5547
午後の名寄名物C55同士の交換風景である。マニアは人気のある30号機に反対側ホーム47号機は閑散。翌年、47号機が廃車され代りにC57が入線。同じ交換風景でも悪役になってしまったC57には誰一人カメラを向けない。

宗谷本線・音威子府ー筬島 1973年3月 C5547
天塩川沿いを快走する華麗な47号機。でもなぜか感動が薄い。それは昨夜、夜行列車待ちの旭川で初めてストリップショーを観覧。踊り子のあの笑顔がウブな私を悩ませる。

おまけ 九州編

鹿児島県・吉松機関区 1974年11月 C5552
肥薩線や吉都線では無煙化が達成。52号機だけ細々と入れ替え運転をしていた。仲間の姿もなくなぜか寂しさが漂う。

吉都線 京町温泉 1973年8月 C5552
吉都線名物・早朝の過密ダイヤ。C55から始まりC57やD51がたて続けにやって来る。昨晩、しまい湯の女風呂を偶然ゲット。湯煙に浮く裸体に感動。4時に起床し朝靄の沿線に立つが私の脳裏は蒸機どころではない。


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都築雅人の出会いとロマンの煙情日記
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