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日本(筑豊の9600)
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■筑豊の9600
1973年から75年の3年間は蒸機を追いかけていた高校時代、九州は3度しか訪れなかった。やはり関東からは遠く、どうしても北海道に行ってしまう。それでもなんとか筑豊の蒸機たちには間に合った。定番の撮影地で見慣れた作品ばかりだと思いますが、私にとって筑豊は真夏の炎天下を思い出し印象が強い。
9600Class (2-8-0)
1913年〜
770両製造
JNR(Japan National Railway)=1067ミリ


筑豊本線 中間ー折井 1974年7月
歩くようなスピードでやって来た9600、気温が高く煙は無い。複々線のど真ん中でたしか数人の愛好家とカメラを並べている。今だったら大変なことだね。

後藤寺線 船尾ー後藤寺 1974年7月
中元寺川はあまり綺麗ではなかったが暑さを凌ぎ裸足になり撮った。

後藤寺線 船尾ー後藤寺 1973年8月
(この写真のキャプションは「想い出の1枚」コーナーでご覧下さい)

伊田線 直方―中泉 1974年7月 19636
陽も傾き風が清々しかった。遠賀川の鉄橋脇でダレながら9600を待つ。

田川線 勾金ー油須原 1973年8月
田川線名物、前2後1の3重連であるが編成が長く後補機は入りきれなかった。

田川線 油須原ー勾金 1974年7月 59681
油須原を出てすぐのところだと思う。汽笛が聞こえ慌ててこせん橋から撮った。

田川線 崎山ー油須原 1974年8月
田川線唯一の通勤通学列車が残っていた。学生が窓から大きく乗り出して奇声をあげていた。

田川線 崎山ー油須原 1974年8月
あまり画質は良くないがカラーでも撮っていた。茶と青の混合客車が時代を物語る。

田川線 勾金ー油須原 1974年7月
遠くからドラフト音と黒煙が見えるがなかなか来ない。煙を目の前までもたせてくれと願いをこめ押した一枚。


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都築雅人の出会いとロマンの煙情日記
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