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搭乗ゲートNo.82
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旧国鉄・北海道追分機関区から最後の蒸機9600が消えて25年がたった。1970年代、SLブームに乗って私の中、高校生活の4年間は休みがあれば北から南へと撮影の旅に出かけていった。
日本から現役蒸機が無くなると鉄道写真も自然と遠のいてしまったが、写真学科に在籍してためカメラだけはいつも離さずに人物やドキュメンタリー写真を追う撮影に専念していた。当時の海外旅行はまだまだ高価で、新婚旅行のハワイは憧れで国内がほとんどだ。私も海外など高嶺の花であった。

ルーマニア マラムレッシュ地方 Reordina  ルーマニア国鉄230-516(4-6-0)
通信社の専属カメラマンとしての数年間は写真業界や出版物の製作過程など覚えることばかり、自分の作品は無用な時代だった。C57の山口線の復活やC56の出張運転などニュースは耳にしていたがわざわざ出かけることもなかった。

海外の蒸気機関車を撮り出したのは中国・北京の取材中からだった。久々に聞いたドラフト音、懐かしい石炭の臭いが漂う中、線路を探したが何処迄いっても見当たらない。その日は見られず終いだったが帰国日になんとか撮影にこぎつけた。
初めて目にした前進型蒸機は新鮮そのもの。もちろんこんなに大きな機関車は見たこともない。また近郊の駅の構内がこんなにも広大なのにも驚いた。大陸の広さを実感する。薄汚た機関車は入れ替え作業を終え出発の準備に入った。赤い夕日に照らされたボディーは金色、白煙、すさまじいドラフトと蒸気。見入ってしまいシャッターが押せない。迫力はかつて日本で見た光景と一致して再び蒸機の虜になってしまう。
中国全土にはまだまだ無数にSLが走っている。こうなったら時間が許す限り通って撮ってやろうと思った。私は日本で撮れなかった分、撮ろうとしていた写真のリベンジをここ中国から始めた。1982年フリーランスとなった年である。単独、グループ、時にはツアーにも参加、現役で活躍する蒸気機関車にこだわり海外へと足を運び現在に到っている。


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世界の蒸気機関車
都築雅人の出会いとロマンの煙情日記
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