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CHINA/中華人民共和国(シルクロード蘭新線の旅・中)

 撮影と観光を兼ねた中国シルクロードの旅は私自身の写真に対する考え方を大きく変えた。NHK製作の中国シルクロードに魅せられ、ウルムチ、トルファン、敦煌は憧れの地だった。砂漠、遺跡など私は目にするもの全てに感激し、少数民族たちのスナップ写真を撮る楽しさに満喫した。また大陸の蒸機の撮影がライフワークとしたのもこの時からだ。
 そんな1980年代に私が過去3回ほど足を運んだ中国の蘭新線(蘭州ーウルムチ)1758kmの車窓と途中下車の旅を今回から三回(上・中・下)に分けてご紹介したいと思います。
 現在は鉄道施設等や無煙化と当時とだいぶ異なっております。あまり旅の参考にはなりませんのでご了承下さい。

蘭新線最大の難所・烏鞘嶺。4000m級の祁連山脈越えに2台の前進は意気を合わせて行く。初夏なのに雪も降る。

幾つものΩカーブを繰り返し高度差を稼いで烏鞘嶺を登って行く。私が立っている場所も平行感覚が無くなる。

天祝駅には給水設備が整っている。ほとんどが重連走行なので給水も2台いっぺんに行われる。

今日の雪の中、視界が悪かった。夕方になってやっとまわりが見えてきた。しかし強風に煙が傾いて絵にならない。上海行きの特快もご覧の通り。

約500mにわたり多数の保線員が作業をしていた。リーダーの掛け声にまるでロボットのように作業が始まった。中国ではいまだ人界作戦は日常茶飯事。

天祝駅に向けて大きなコンクリート橋もある。川に水の流れはない。

烏鞘嶺の全景。青河駅に進入する貨物列車。さらに中腹にはサミットの烏鞘嶺駅がすぐに次のトンネルへ突っ込んで金強河へと下って行く。今では電化が完了し電気機関車のモーターが唸りを上げて峠に挑んでいる。

武威を過ぎバダインジャラン砂漠をひたすら走る。丸1日乗っても同じ風景が続く。張掖を過ぎた頃だろうか風化してしまった万里の長城の跡が見えた。

酒泉駅に到着。広い構内には機関区もあり何台もの前進が待機していた。酒泉では必ず機関車の付け替えが行われる。1982年当時はデフ無し旧満鉄パシロ型も特快を牽引きしていた。

酒泉市内の象徴「鐘鼓楼」。酒泉は河西回廊の中心に位置しモンゴル高原への分岐点でもある。古くから交易で栄えた都。

万里の長城の西端・嘉峪関。ここからさらに敦煌まで長城は続くがほとんど風化され城塞のような面影はない。それはまるで祁連山脈に吸い込まれたかように消えて行った。

北京西駅発ウルムチ行きの特快が嘉峪関下を通過。ウルムチまで後1000キロ、21時間もかかる。ひたすら西へ西へ、変わらぬ車窓が続く。

中国三大石窟・敦煌莫高窟。北大仏殿左右には大小492の石窟があり見学できるのは30カ所。私の憧れの地「敦煌」は時間も限られわずかな石窟内見学だったが、ロマン溢れる壁画や仏像を目にして感無量だった。次の石窟へ移動中、上から砂がパラパラと降りかかってきた。上部は広大な砂丘、鳴沙山の東端の断崖に位置する。身体に降りかかった砂の感触が今でも私を敦煌へと引きつけるのだ。

月牙泉と鳴沙山。莫高窟の見学を終え夕方砂漠へと向かった。観光ラクダも客を乗せ忙しい。鳴沙山から見た月牙泉は素晴らしかった。夕日に染まる砂の色が黄金に変化する。月牙泉の神秘溢れる澄んだ水はまさしくオアシスそのものであった。

いかがでしたでしょうか?今さらシルクロードなんてと思う方もいるかもしれませんがもう少しおつき合い下さい。次回、蘭新線の旅(下)はトルファン市内と蒸気機関車。少数民族ウィグル族、そして終着のウルムチまでの車窓を紹介します。

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